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四百余年の時を刻む江戸城築城石石丁場跡。石工達の息吹を感じて下さい!

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東伊豆江戸城築城石石丁場

東伊豆町大川地区の谷戸山に残された築城石ワールドは、
江戸時代へのタイプスリップ空間なのです。
全山史跡と言える谷戸山、東伊豆町の貴重な埋蔵文化財の一つです。

※細久保石丁場、谷戸ノ入石丁場、谷戸山石丁場の区分について、本サイトでは字名(あざめい)の区分とは異なります。
区分については「東伊豆町の石丁場」ページにて・・。


石丁場内の谷筋を流れる沢沿いに集中する築城石切出し残石です。
谷筋左右の斜面から採石された石材は、
沢に沿って造成された修羅道(石曳道)を修羅に乗せて海岸まで運んだようです。
谷筋に足を踏み入れると時代は江戸時代初期。築城石の世界が視界に拡がります。










慶長九年六月、徳川家康による大江戸建設と江戸城大改修の公儀普請発令時より
普請参加に深く関わっていた佐賀藩主・鍋島信濃守勝茂担当の石丁場です。
公儀普請を受けて鍋島勝茂は島津家や黒田家、福島家、加藤家、池田家と共に石材運搬船を献上しています。
四百年の刻を超えて伊豆國大川の山中に鍋島家の痕跡が残されているのです。



谷戸山石丁場大割石巨石動画(300MB)容量が大きいのでダウンロード後またはFacebookにて閲覧下さい。


谷戸山石丁場群最大と思われる石丁場跡は既に紹介済みと思っていましたが、
未だサイトアップしていませんでした。
何度訪れても初見の石材が視界に入り、
想像を絶する築城石残石の量に思わず立ち止まり、目の前の光景に驚愕してしまうのです。

















東伊豆町大川谷戸山石丁場群には毎年調査に入ります。
同石丁場は埋蔵文化財としてのポテンシャルが非常に高く、
神奈川県西部から伊豆各地に点在する江戸城築城石採石石丁場群としてはトップレベルといえるでしょう。
日本の財産ともいえる文化財を該当行政区は守ることが出来ません。
残念ながら町外資本の宿泊施設により破壊される石丁場が出てしまいました。
行政は何もせず、見て見ぬフリをしているのです。













高画質のため容量が大きくなっています。ダウンロード後にご覧下さい。

谷戸山石丁場・今まで気付かなかった刻印(動画311MB)

谷戸山石丁場を象徴する丁場跡(338MB )


2018年2月、谷戸山「渡辺家角石」至近の元国労研修施設跡地に
大規模太陽光発電施設が建設されることを聞き、
江戸城築城石採石石丁場が存在する可能性があるため谷戸山北東側斜面、
沢を隔てた対岸に探索に入りました。
現在まで確認されていなかった新たな刻印石が発見されたのです。
刻印の発見に伴い、至近距離にある東伊豆町文化財に指定されている「渡辺家の角石」の
切出し大名が四百有余年の時を超えて推察できたのです。





谷戸山石丁場、「分銅紋の谷」と呼ばれる出雲国松江藩主・堀尾山城守が担当した石丁場に入りました。
谷戸山石丁場群と谷戸ノ入石丁場群を隔てる沢の両岸の一部から
113個の「分銅紋」が刻まれた刻印石が確認されているのです。
今回は谷戸山石丁場内の刻印石をアップ致しました。
※サイトアップした写真は谷戸山石丁場内の「分銅紋」刻印石、全てではありません。












分銅紋の谷・最上部刻印石群の動画(146MB )
三つ分銅紋が刻まれた割石の動画(54.3MB)




谷戸山山中の切り出し途中の角石です。
角石の寸法調整や石鑿による成形途中などが判ります。
付近から佐賀藩・鍋島勝茂の刻印が発見されていることから、
鍋島氏関連の石丁場であると思われます。





谷戸山石丁場群の中で不思議な石丁場に遭遇しました。
大小の矢穴を持つ割石。
最終形が解らない矢穴跡。
まるでロゼッタストーンのような複数線条痕と幾何学模様の刻印を持つ割石・・。
多くの石工達に指南役が指導を行ったような石丁場跡なのです。






谷戸山石丁場・不思議な丁場跡の動画(97.2MB)






鍋島勝茂石丁場の動画(127MB)















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〒413-0303
静岡県賀茂郡東伊豆町片瀬402-1
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石丁場探索は自己責任、自己管理の下で行動願います。

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