今まで何度か遭遇した大型の割石です。
石丁場内では特に変わり映えのない割石に見えますが、
この割石を含む周囲一帯が築城石採石の石工達の声が響きそうな、
現在、他のどの石丁場にも見ることが出来ない、
重要な石丁場であることが、この後歩を進めるにつれ判明してきたのです。

この割石も割面の上部に残る矢穴跡と縦に走る矢穴の大きさが明らかに違うのです。
割面上部に残る矢穴跡は大型で、現在までの研究では慶長時代の矢穴跡と思われます。
縦の走る矢穴は上部の矢穴跡と比べると幅が小さく、元和から寛永時代と判断出来ます。
更に裏面に刻まれた矢穴は寛永時代を思わせる矢穴幅で、
一つの割石に三つの採石時期が混在しているのです。

あくまでも私の推測ですが・・、
矢穴の大きさは時代によって幅が異なる、という今までの通説は、もしかして違うのでは・・。
採石の際の石の堅さ、割り方によって楔の種類(木製、鉄製)、大きさを変え巨石を割っていたのではないでしょうか。
この推測により、同じ石丁場内の距離の近い割石で、
矢穴幅が異なる、または同じ石なのに矢穴幅が異なるという今までの疑問がスッキリ解決するのです。



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