鍋島家の刻印が刻まれた大割石です。
左側面に鍋島家の代表紋「旗印紋」と家臣の刻印と思われる「扇に○」の刻印が刻まれています。
矢穴幅は大きく慶長時代の採石ではないでしょうか。
慶長九年、徳川家康による公儀普請を受けて、12月に島津家、鍋島家、黒田家より石材運搬船数百艘が幕府に献上されています。
他大名家、浅野幸長や福島正則、池田輝政、加藤清正らによる石材運搬船献上により、
実際に運搬が開始された時の運搬船総数は三千艘にまでなっていたのです。
また、三十五万七千石の大名であった鍋島信濃守勝茂には、
百人持ちの石(角石や角脇石の大型石材)の調達、約四千個が割り当てられていました。
慶長九年の公儀普請を命じられた大名家総石高は、約五百三十万石に達し、
同年のみの石材調達数は約六万個にまで及んでいたのです。