矢穴幅から推察すると寛永時代の採石作業痕と思われます。 元和6年、徳川秀忠から将軍職を継承した家光は、寛永6年、寛永12年、寛永13年に公儀普請を発令しています。 寛永6年から始まる公儀普請より江戸城西の丸、西の丸外郭の石垣大工事が始まり、 徳川御三家に至るまで普請への参加命令が下ったのです。