東伊豆町稲取、町内を流れる大川流域に江戸城築城石採石の大規模な石丁場の痕跡を見た!新たな刻印も発見!

静岡県東伊豆町稲取、湿原が広がる細野高原を源流域に持つ「大川」は、山中から急斜面を下り、伊豆急行線・伊豆稲取駅の下を流れ東伊豆町庁舎近くの稲取港に流れ込んでいます。
伊豆稲取駅から大川上流方向を見ると稲取特産の柑橘類が栽培される大規模なみかん畑を見ることが出来ます。みかん畑は南斜面に切り開かれ、大規模な石垣を築いて降り注ぐ太陽光を効率よく利用するための工夫がされています。石垣に利用されている石材に江戸城築城石、大石丁場が存在した痕跡を見ることが出来るのです。

大型矢割跡を残す矢割石。採石は間違いなく慶長時代。

比較的矢穴幅が小さい矢割石。作業は寛永時代以降。

同じ石垣に大型矢穴跡と小型矢穴跡、ドリルで開けられた跡が混在。江戸初期から近年までの時代を物語ります。

写真のように江戸城築城石採石の際、石材を切り出すため、矢割りされた石材の残石が石垣に組み込まれています。
慶長九年、徳川家康の城普請から始まった江戸城大改修事業は寛永十三年、徳川家光の普請後、寛永十六年に完了したといわれています。この石垣には慶長時代に採石した痕跡から寛永時代の採石、近年ドリルによって石材を加工した痕跡まで積み上がっているのです。この石垣周辺には、巨大な岩体が現在でも多数点在しています。その中の一つ、以前から気になっていた巨石がありました。
大川流域という地勢から鬱蒼とした竹林と高湿度な環境下、藪に入り込む度胸がなく、気になる巨石を眺めては溜息をついていましたが、例年にない低温が続いたおかげで巨石へのアクセスが容易になっていたのです。

いよいよ巨石に接近!
目に飛び込んできたのは、今まで確認されていなかった刻印、驚愕大興奮で一気に血圧急上昇となりました。

刻印が刻まれた巨石。刻印石の奥、石垣の手前はコンクリートで舗装された林道。

高さ約4m近い巨石に刻まれた刻印。「九」と「田」の組み合わせに見えますが・・。

初見したときは「大」と「田」に見えました。
「大」と「田」の刻印は場所が異なりますが近くの石丁場跡で確認されている刻印です。しかし、よく見ると「九」と「田」のようです。「田」の刻印は近くの愛宕山石丁場内で複数確認されています。「九」の刻印は沼津市戸田地区の石丁場、伊東市御石ヶ沢の石丁場で確認され、九鬼大和守久隆の刻印として確認されています。戸田石丁場と御石ヶ沢石丁場で確認される「九」の刻印は非常に類似していますが、今回見つかった「九」の刻印は両石丁場の刻印とは異なっているのです。
細川家文書の「伊豆石場之覚」によると寛永十二年前後、九鬼大和守久隆が稲取に担当石丁場を保有していた記載があります。付近のみかん畑から見つかっている「卍」の刻印が九鬼大和守久隆の刻印ではないかといわれていましたが今回、「九」の刻印が発見されたことで同大名家による採石場所が特定できたと思われます。
戸田石丁場と御石ヶ沢石丁場付近、細川古文書にて稲取同様、寛永十二年前後に九鬼大和守採石の記録があります。同じ大名家の別班がそれぞれの石丁場に入ったため、刻印の形状に相違があったのかもしれません。

今回の刻印発見場所付近は、おそらく数十年前まで大量の築城石残石が転がっていたことでしょう。現在では柑橘類栽培の石垣に姿を変えていますが、巨大な自然転石が点在する場所も残っています。未踏査箇所があるため、今後の調査により大発見があるかもしれません。