
河津町見高地区磯丁場、岩盤の開けられた矢穴。
静岡県賀茂郡河津町見高地区の磯丁場です。
資料によると江戸城築城石採石時期、見高は「耳高」と呼ばれ、
尾張大納言義直が担当する石丁場が存在していました。
尾張徳川家は三代将軍・徳川家光の命により採石に参加。
現在の伊東市川奈~富戸付近、東伊豆町北川地区の大規模な石丁場を担当していたのです。
徳川家康による天下普請の命に始まる江戸城大改修。
徳川家光の時代は最も大規模な改修となり、
西国大名に限らず全国の諸大名から徳川御三家に至るまで
総動員して改修事業にあたったのです。
採石技術も改修に費やした約四十年の間に進歩し、
慶長~元和~寛永と時代が進むにつれ矢穴幅は小さくなっていきました。
見高地区の石に刻まれた矢穴は小さく、
尾張徳川家が担当した年代と照合出来る矢穴幅であることが確認できました。