令和四年三月以来のブログ更新になります。
令和六年、五月のとある木曜日。駿河久能山東照宮に参詣してきました。クルマのナビ通り到着した久能山下駐車場から見上げた果てしない階段に恐れを感じ、躊躇無くロープウェイ日本平駅に移動・・・。ロープウェイにて久能山駅まで向かいました。
標高307メートルの有渡山(久能山)の起伏に富んだ山体を眼下に見ながらロープウェイは快適に久能山駅に到着。
東照宮駅到着直前、進行方向右側に石垣が見えてきました。ロープウェイ内の解説によると今川氏により山城として築城された久能山城、今川氏から武田信玄の手に渡った際の二の丸跡の石垣であるようです。
石垣をよく見ると矢割りされた跡が確認出来るため、武田家から徳川家の所有に移った際、慶長年間以降、石垣の積み直しが行われたのではないかと思われます。
ロープウェイを降車していよいよ久能山東照宮へ・・・
社務所横を通り過ぎると視界に入ってくる見事な門が国の重要文化財に指定されている「楼門」です。
「唐門」までの石畳を進むと右側に「鼓楼」が見えてきます。双方とも国の重要文化財に指定されている見応えある建造物です。
周辺の石垣を見ると慶長時代以降、積み直された痕跡がありました。元和二年四月十七日に徳川家康公が逝去していますので、そのタイミングで大幅な改修に伴う石垣の積み直し、造成が行われたのでしょう。
矢割跡が見つかったいくつかの石材です。
御祭神・徳川家康公をおまつりする「本殿」と参拝をするための「拝殿」を「石の間」で連結した「権現造(ごんげんづくり)」様式。豪華絢爛な「御社殿」。
久能山東照宮の御社殿には「逆さ葵」が見学可能なエリアに三ヶ所、立入禁止エリアに一ヶ所あるそうです。
建造物周辺の石垣に目を向けると明らかに石鑿跡と思われる刻み跡が確認出来ます。
何が刻まれているのかは不明です。
石材に付着している苔や汚れを落としたいのですが、国の重要文化財、国宝に指定されている史跡です。
撮影のみして帰宅後、DATAを加工してみました。
いよいよ徳川家康公・神廟に向かいます。
廟門を抜けると青空が突然曇り、大粒の雨が・・・
家康公から参詣を拒否されているのかと思いつつ、雨を避ける事無く廟所参道を進み、神廟直前まで歩を進めると大粒の雨が止み、青空が拡がったのです。
江戸城築城石採石地研究を本格的に開始して十年目、家康公より「宜しゅう頼み申す・・」と言われているような感じを受けたのです。
神廟前にて手を合わせ江戸城築城石、駿府城築城石採石地研究の安全を祈願して参りました。
一人で石塔を凝視する姿は異様に見えたかもしれません。
今回、久能山東照宮への参詣はロープウェイを利用しましたが、次回参詣の際は千百五十九段の石段を登ってお参りしたいと思います。
久能山東照宮ロープウェイ往復動画はこちら