密集する築城石切出し残石です。 切り出し石材の様子から近年、東伊豆町の運び出しや静岡県の治山事業による石丁場破壊行為で、 石丁場内の各石材切出し作業跡から寄せ集められたようです。 慶長九年の徳川家康による公儀普請から始まり三代将軍、徳川家光の寛永十三年発令の公儀普請が終了するまで、 石丁場としての作業跡であり、江戸城築城石切り出し石材であったことは認識されていたにも関わらず、 貴重生と重要性の認識に欠け、行政と宿泊施設の破壊行為が続いたのです。