磯脇石丁場には、この巨大な矢穴石と、 最上部にある完成角石しか確認されていません。 周辺の斜面は岩盤が確認出来、大型の自然石もあるのですが、 周辺に矢割石、矢穴意思が確認出来ず、 石丁場として作業していたのか、やや疑問が残ります。 この巨石の東面には「越前」の刻字が以前確認されていました。 「越前」とは土佐藩の家老、百百越前安行で慶長11年2月、稲取に派遣されています。 この場所は採石場所ではなく、 シンボリックな場所ではなかったのでしょうか?