見事な矢穴跡です。
志津摩海岸の巨石は明治・大正時代、防波堤造成のための石材としても使用したといわれています。
慶長年間〜寛永年間の石材切り出し跡と明治・大正時期の切り出し跡は、
矢穴の大きさ、矢穴間の幅でおおよその年代が判別できます。

写真の矢穴は精度が高く、明治・大正期と思われますが、
矢穴間の幅が狭く、木製の楔を使用して石材を割ろうとしたようです。
鉄製楔の使用は寛永年間以降とされ、矢穴幅は8cm以下となり矢穴間は広くなります。
この石材は元和〜寛永に掛けての作業跡ではないでしょうか?



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