東伊豆町稲取入谷茶の木畑付近にて新たに発見した刻印です。
初見したときは「大」と「田」の刻印に見えましたが、「九」と「田」の様に見えます。
帰宅後、撮影データで確認すると「九」と「田」を含んだ「▽」の様にも見えます。
「田」の刻印は付近の愛宕山石丁場で複数確認され、松平土佐守(山内忠義)もしくは加賀藩前田家の刻印とされていますが、
「九」の刻印は稲取地区内において、初めて目にする刻印なのです。
沼津市戸田地区の大規模な石丁場内、伊東市の御石ヶ沢石丁場内で「九」の刻印が多数確認され、
古文書より九鬼大和守久隆の刻印として認識されています。
細川家文書(細川忠興の華信が残したとされる古文書)「伊豆石場之覚」では戸田地区、御石ヶ沢石丁場が存在する伊東市宇佐美地区に寛永十二年、
九鬼大和守久隆の担当石丁場があったことが確認されているのです。
同古文書内の記載に同年、稲取地区に石丁場を持った大名家として九鬼大和守久隆が記されていますが、
現在に至るまで同大名家の石丁場が稲取の何処の場所であったのか不明とされてきました。
至近距離から発見されている「卍紋」を刻んだ大名家も不明でしたが、九鬼家の石工が刻んだ可能性もあります。
今回の発見により、稲取細野高原に源流を持ち、町内を下って稲取港に流れ込む大川流域に、
伊豆東海岸を代表する江戸城築城石採石の大石丁場が存在していたことの証明になりそうです。