築城石を切り出す様子が手に取る様に判る採石跡です。 矢穴幅から寛永時代の作業であることが判断出来ます。 寛永期、伊豆國大川にて石丁場を担当した大名家は細川文書より寛永六年、尾張大納言義直、 寛永十二年(徳川家光による公儀普請の発令は寛永十三年)には 立花飛騨守宗茂、立花民部慰種長、戸川土左守正安、平岡石見守重勝、桑山左衛門佐一玄とされています。 細川文書では一部誤りがあることを見つけていますが、 何れかの大名家が採石した築城石残石です。