羽柴左衛門太夫(福島正則)の担当丁場と思われる石丁場内刻印石直上の大割石です。 安芸広島と備後鞆四九万八〇〇〇石の大名であった福島正則は元和五年、 台風による水害で破壊された広島城の本丸・二の丸・三の丸及び石垣等を無断修繕したことが武家諸法度違反に問われ改易されています。 つまり、写真の石材の築城石切出し作業が福島正則担当石丁場であったとすれば、 慶長九年から元和五年までの作業ということになります。