周辺石丁場は複数の大名家担当丁場が存在しています。 「羽柴左衛門太夫」の銘が入った「ぼなき石」、結三輪違紋と呼ばれる刻印が刻まれた残石など、 担当大名家の痕跡が現存しているのです。 時代も築城石採石が開始された直後の慶長時代から、 寛永時代まで約40年間、石材切り出しが行われていたようです。 写真に写る石材周辺の残石に残る矢穴幅は小さく、 寛永時代の採石丁場であると思われます。