横幅約5m、高さ約2mの切出し母岩です。 手前半分が切り出されています。 石面に刻印は確認出来ませんでしたが、母岩の左側の谷筋は松平忠知の石丁場、 右側は羽柴越中守こと細川忠興の石丁場が広がっています。 母岩上部の矢穴跡が比較的小型であることから、 この母岩は同地区を慶長から寛永時代に掛けて採石を行った、細川忠興の家臣団による採石跡ではないかと思われます。