2016年4月以来の再会です。 「羽柴越中守石場」(細川忠興)の銘文が入った巨石です。 銘文は矢割りされた巨石の割面に刻まれています。 「羽柴姓」で刻まれていることから、徳川家康が慶長八年征夷大将軍として江戸に入った翌年、 慶長九年の公儀普請(江戸の町造成と江戸城をはじめとする12城の改修)発令直後から、 慶長十九年、大坂の陣勃発後豊臣家滅亡までの間に石丁場が形成されたのです。 矢割面の矢穴幅は慶長時代の痕跡を残し、銘文が刻まれた時代と合致しています。