洞ノ入石丁場入り口に続く砂防ダム手前に設置された案内看板です。
案内中、採石大名家の説明に毛利高成の名があります。
石丁場内より大量に見出される「矢羽根紋」は毛利家刻印とされ、毛利高成(豊後国佐伯藩第二代藩主)または毛利市三郎(豊後国佐伯藩第三代藩主・毛利高直)の
刻印として紹介されていますが、矢羽根紋が刻まれた刻印石の矢穴は矢穴幅が大きく、
徳川家康が慶長九年に発令した公儀普請直後の採石作業の痕跡を見せています。
毛利高成の生年は慶長八年、毛利市三郎の生年は寛永七年です。
二人の生年と普請発令年を比べると違和感があります。
ナコウ山石丁場から洞ノ入石丁場、割石丁場で矢羽根紋を刻んだのは豊後国佐伯藩初代藩主・毛利高政であるとすれば、
矢穴幅から考察する採石時代と担当大名の年齢が合致するのです。