矢穴跡は正確な逆台形で腕の良い石職人が存在した大名家の作業痕跡です。
萩野家文書では松平隠岐守による「ぬた場丁場」ありと記載があり、
「かがり蛇の目紋」が刻まれている石材である事が明示されています。
石丁場は石材に開けられた矢穴幅から、慶長時代から寛永時代に掛けて採石されたと思われ、
「かがり蛇の目紋」を代表紋としていた伊予松山藩初代藩主・加藤嘉明の担当丁場ではないかと判断できますが、
慶長期の残石が残され、採石途中で藩主が亡くなり後継が居なかった蒲生家であるとも考えられます。