燧山石丁場には慶長時代から元和時代に掛けて生駒讃岐守一正、藤堂和泉守高虎の担当丁場があったとされています。

写真の石丁場跡の残された残石の矢穴幅は寛永期の作業跡を物語っているのです。

寛永時代、燧山石丁場を担当大名は「伊豆相模石場之覚」より本多美濃守の記載が確認出来ました。

該当する大名は、伊勢桑名藩第二代藩主で後に播磨姫路藩初代藩主となった本多忠政ではないかと思われます。


閉じる