足下の巨石が矢割りされていました。 矢穴は殆ど土砂に埋もれ、左側割面だけが露出していたため、 気付かずに一度は通過していたのです。 石丁場内を引き返す途中、割面に気付き土砂を払ったところ矢穴が出現、 矢穴幅は大きく慶長時代後期から元和時代に掛けての作業痕のようですが、 周辺に同様の矢割石材、矢穴痕を残す石材は無く、 石質調査のための試し割を実施したのかも知れません。