1590年(天正18年)の小田原征伐の際に
小田原城の西3kmにある笠懸山の山頂に豊臣秀吉が築城した一夜城は、
周囲の木が目隠しとなり小田原城から気付かれずに完成。
周囲の木の伐採で北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せ掛け、
戦闘意欲を失わせた、といわれ、石垣山一夜城と呼ばれました。
現在の石垣山一夜城公園内には、
石垣山北側斜面の石丁場から切り出された江戸城築城石が移設展示されています。
石垣山北側斜面の石丁場を担当した大名は、
関ヶ原の戦いで西軍に付いた豊臣側の大名ではなかったでしょうか?
亡き主君の築き上げた一夜城の下で、豊臣の力を徳川に見せつけようと、
巨大な石材を切り出したのでしょう。
現在でも残る切り出された石材の巨大さは、他の丁場を圧倒してます。