周囲の石材同様、大型矢穴跡を残す巨石です。
手前の矢穴跡と石材上面の矢穴の幅が異なるため作業時期に相違があると思われますが、
石丁場内では同じ石材に対して、異なる矢穴幅を持つ石材をよく見かけることがあります。

矢穴幅は楔の種類に依存するため、木製の楔を使用していた慶長期から元和前期では約100o、
鉄製の楔に代わる元和後期から寛永前期にかけては約80o、
採石技術が向上した寛永後期では80o以下と判断するのが通例ですが、
石材の状態を判断した石工達は、状況に応じて矢穴幅を変えていたのかもしれません。

しかし、当時の作業工程は幕府からの通達により、
一日に矢穴を開ける数、作業時間、給金は開けた矢穴に入るお米の量と決められていました。
このような細かな就業規則が決められた環境で、
石工達が臨機応変に矢穴幅を変えて作業していた、というのも疑問が残ります。


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