石丁場に入る林道入り口の看板が新しくなっています。
ちょっと文章が変ですね。

「・・・西相模〜伊豆半島の安山岩は船で運搬できて、硬くて耐久性のあるため、江戸城の大多数の石垣に用いられました。
石を割るには『ヤ』という鉄製のクサビ状の道具を使いました。
まず、ノミで四角い穴を連続でキャタピラ状に掘り、これらにヤを入れて、大型のハンマーで打ちたたいて石を割りました。
海岸から離れた地区でも採石されたことは、江戸城石垣のための短期間に大量の石が必要であったことを示しています。
遺跡の中には、記号や大名の名前などをノミで彫った『刻印』もあって、石材を確保することに苦労した姿を伝えています。」



「・・・西相模〜伊豆半島の安山岩(一部、凝灰岩)は硬くて(凝灰岩は軟質です)耐久性があり、
地勢から船による運搬が可能なため江戸城の多くの石垣に用いられました。
石を割る作業工程では『矢(箭)』という木製または鉄製の楔状の道具を使います。
まず築城石に使用可能な石材(大きさ、石質)を選定します。石材が決まると石鑿で矢穴(箭穴・四角い穴)を開けていきます。
慶長時代から元和時代前期に掛けて使用した木製楔では、矢穴に木の楔を差し込み水を掛け一晩置きます。
すると木材が膨張、膨張する力を利用して巨石を割りました。
寛永時代になると鉄型の楔を利用されるようになり、矢穴に差し込んだ楔をハンマーで打ちたたいて石を割りました。
多くの西国大名が伊豆東海岸に採石丁場を求め、海岸から離れた地区でも採石丁場として担当大名に割り当てられました。
石丁場内には大名家の馬印や大名の名前などを石鑿で刻んだ『刻印』や『刻字銘文』もあり、四百有余年の時を経た貴重な史実が現存しています」

文章の行間も不均等な看板。熱海市教育委員会の仕事、雑過ぎます!


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