中張窪石丁場入り口から「羽柴右近」の文字が刻まれた矢割石が残る丁場跡を経由して、
是ヨリにし 有馬玄番 石場 慶長十六年 七月廿一日」
の文字刻印が刻まれた大岩までの間、
林道左側に気になる斜面があったのですが、前回探索時には夕刻が迫り、潜入しませんでした。

林道から見え隠れする巨石は間違いなく矢割石であると確信。
やはり、そこには四百有余年の名残が存在していたのです。

「羽柴右近」の刻印石と「是ヨリにし 有馬玄番 石場 慶長十六年 七月廿一日」の刻印石の中間地点にある石丁場。
この石丁場の担当大名は「森忠政(羽柴右近大夫忠政)」であるのか「有馬玄蕃頭豊氏」であるのか定かではありません。



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