慶長時代後期から元和時代に掛けての矢穴幅を持つ矢穴が開けられた巨石です。
周囲には切り落とされた間知石や切出し残石、矢穴が開けられた巨石が点在。
大石丁場が存在していた様相です。

神奈川県西部から伊豆地区の江戸城築城石採石地の担当大名家に関する古文書が、
山内家文書、細川家文書ほか複数残されていますが、
堀河(北川)の石丁場を担当した大名家で明記されているのは、
寛永6年の普請発令で担当した紀州大納言「徳川頼宣」ですが、
矢穴幅は寛永時代以前を示しています。

徳川御三家である紀州大納言の預かり丁場であった以前、
堀河の地は他大名家による江戸城御築城石採石が行われたようです。




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